私たちが受けたある依頼は、疎遠になっていた娘さんからの「亡くなった父の部屋を片付けてほしい」というものでした。その部屋は、典型的な汚部屋、あるいはゴミ屋敷と呼ばれる状態で、玄関を開けた瞬間に、十数年分の孤立と停滞が凝縮された異臭が溢れ出しました。作業を進める中で見つかった日記や手紙の顛末から、住人であった父親の孤独な人生が浮き彫りになりました。かつては大手企業で働き、家族のために必死に働いていた一人の男性が、定年退職と妻の死をきっかけに、急速にセルフネグレクトの坂を転がり落ちていった様子が刻まれていました。ゴミの山の中から見つかったのは、幼い頃の娘さんの写真や、返事の来なかった手紙の束でした。汚部屋住人としての彼の顛末は、家族への深い愛着を抱えながらも、それをどう表現していいか分からず、物を溜め込むことで心の隙間を埋めようとした哀しいあがきだったのです。片付けが終わった後の、何もない冷たい空間で、娘さんは声を上げて泣き崩れました。「父がこんなに苦しんでいたなんて、知らなかった」という彼女の言葉は、汚部屋住人の颠末が、残された人々に対しても消えない後悔と傷跡を遺すことを物語っていました。私たちが清掃の現場で目にするのは、単なるゴミの処理ではなく、断絶された家族の絆の修復不可能な終着点です。物を溜め込み、自分の殻に閉じこもることは、一見自分を守っているように見えて、実は大切な人との最後の対話の機会を奪い去ってしまうのです。汚部屋住人の顛末は、死後、その部屋を片付ける人々の心の中に、故人の真意を測りかねる虚無感と、やり場のない怒りを植え付けます。私たちはゴミを運び出しながら、一人の人間の人生がこれほどまでに重く、そして虚しく消えていく顛末に、ただ祈りを捧げることしかできません。どんなに深いゴミの山の中にいても、あなたが「生きたい」と願う限り、顛末はまだ決まっていません。最後の一袋をゴミ箱に捨てたとき、あなたの新しい人生が、そこから始まっていくのです。
清掃業者の日記に記されたある家族の悲劇