特殊清掃という、壮絶な現場の最前線で働く私の視点から見ると、ゴミ屋敷が増えているという世間の認識は決して誇張ではありません。私たちが日々依頼を受けて向かう現場の凄惨さは年々増しており、かつては年に数件だった「足の踏み場もない」レベルのゴミ屋敷が、今や毎週のように舞い込んでくるようになりました。ゴミ屋敷が増えている背景には、現代日本人の「心の余裕の枯渇」を強く感じます。現場を訪れると、住人の多くがだらしない人というわけではなく、むしろ真面目で几帳面な人であったり、責任ある仕事に就いている人であったりすることに驚かされます。彼らは完璧主義ゆえに、一度生活のリズムが狂うと、完璧に片付けられない自分を許せず、すべてを投げ出してしまう「オール・オア・ナッシング」の心理に陥っているのです。また、ゴミ屋敷が増えている原因として、生活用品の過剰な供給と処分の困難さのギャップも無視できません。安価で手軽に手に入る日用品や食品が溢れる一方で、ゴミ出しのルールは年々複雑化し、分別のハードルは高くなるばかりです。心の病を抱えた人にとって、この「分別」という行為は、想像を絶する脳のエネルギーを消費する作業であり、それが不可能になったとき、ゴミは部屋を占拠し始めます。私たちは現場でゴミを片付ける際、住人の遺留品や手紙、日記などを目にすることがありますが、そこにはかつての幸福な日常や、必死に社会にしがみつこうとしていた形跡が残されています。ゴミ屋敷が増えているという現状は、誰の身にも起こり得る悲劇の連鎖に他なりません。清掃を終えた部屋に朝日が差し込んだとき、住人が見せる涙や安堵の表情は、彼らがゴミに執着していたのではなく、ゴミという重圧から解放されることを誰よりも願っていたことを物語っています。特殊清掃という仕事を通じて感じるのは、物理的なゴミを取り除くこと以上に、住人の自尊心を修復することの難しさと重要性です。ゴミ屋敷が増えている今の日本に必要なのは、強硬な排除の論理ではなく、一度レールを外れてしまった人が再び自分を大切に思えるようになるための、温かな再挑戦の機会ではないでしょうか。ゴミの山の下には、必ず救いを求める一人の人間がいることを、私たちは決して忘れてはならないのです。