「部屋を片付けなさい」とお母さんに言われるたび、私の心は重い岩を乗せられたような気分になります。確かに私の部屋は汚いし、自分でもどこに何があるのか分からなくなることがよくあります。でも、学校から帰ってきたとき、山積みになった服やカバンを見るとなぜか少し安心する自分もいるのです。外の世界では常に誰かの目を気にし、先生や友達にどう思われるかを計算して、完璧な女子高生でいようと必死です。そんな私にとって、このぐちゃぐちゃな空間だけが、何の役割も演じなくていい本当の場所なんです。お母さんは「将来困るよ」とか「だらしない」と怒るけれど、今の私にとっては、ゴミを分別する力よりも、明日を生き抜くための気力を守ることの方が先決なんです。確かに、机の上の飲みかけのジュースがカビているのを見つけたときは自分でも引きます。それ以外の時間は、どんなに乱れていても何も言わず、ただドアを閉めておくことにしたのです。すると、不思議なことが起こりました。私が小言を言わなくなって数ヶ月、娘は自分から「探し物が見つからないから、少しだけ手伝ってくれる?」と言ってきたのです。娘の部屋が汚い状態は変わらなくても、私たちの信頼関係は劇的に改善されました。でも、それを片付けるための数分の作業が、今の私にはエベレストに登るくらい過酷なことに感じられるんです。疲れているとき、散らかった物の中に埋もれてスマートフォンをいじっている時間は、唯一何からも解放される至福のひとときなんです。それを「不潔だ」とか「だらしない」という言葉で否定されると、私自身の存在そのものを否定されているような気持ちになって、余計に意固地になってしまいます。お母さんにお願いしたいのは、ただ見守ってほしいということ。そして、もし本当に助けが必要なときは、怒るんじゃなくて「一緒にやる?」って優しく声をかけてほしい。部屋を綺麗にしたい気持ちはあるんです。でも、今はまだ、この混沌とした繭の中にいたいだけなんです。いつか準備ができたら、自分できちんと片付けます。それまでは、どうかこの汚い部屋を、私の今の精一杯の姿だと思って、静かにドアを閉めておいてほしいのです。